八王子城
夜は仕事関係の食事会でしたけど、それまではフリーだったので行ってました!
てか登ってきました!八王子城!11時過ぎにJR高尾駅に到着。
まずは腹ごしらえしよう。(あと喉ごしらえもw)
卵焼きとオカラの胡麻和えをつまみつつビールを飲み。ふっくらしたサバを優しく甘辛の味噌でからめて、盛りの良いごはんをほおばる。うまい。今年のサバ料理グランプリ優勝が確定しました。ビールを注文するとちょっとしたおつまみをつけてくれるんですけど、おかわりの都度アイテムがかわったりする細やかな気遣い。雰囲気も申し分なく、なんというか、完璧な定食屋さん。近所に住んでいたら絶対常連になってるなー。
おなかも心も満たされて、これから寒空の下お城跡を歩くとか、むしろちょっとイヤになっているんですが、がんばって目指します。
八王子城跡ガイダンス施設に立ち寄って百名城スタンプ押したら、いざ城跡へ参らん。
このお城は、北条氏康の三男・氏照が1580年代に築城したとされます。1590年豊臣勢およそ1万5千人に攻められ落城します。敗戦の武士たちは言うにおよばず、婦女子は自刃し、御主殿の滝は三日三晩血に染まったと、当時の凄惨さが伝えられています。
そんなことを思いながらこの美しい紅葉を見ると、すこし悲しい気持ちになります。
大手門からの道と御主殿を渡すため、城山川に架けられた橋。戦国当時は敵襲来の際には打ち壊して侵入を防いだそうです。戦後1951年に復元。
橋前から見ると、左前方に曲輪とそれを囲んだ土塁が見えます。
橋を渡り終えると桝形虎口になり、まっすぐ進めません。ここでオロオロしていると曲輪からガンガン矢を射られるという寸法ですね。
冠木門(かぶきもん)まで到達しました。
2010年に復元されたとのことです。
「居館地区」御主殿跡。
冬季のためか、落水量がすくないですね。先にも書きましたが、落城当時はこの滝や下流が北条家関係の人々の血で真っ赤に染まったそうです。
”麓の村では城山川の水で米を炊けば赤く米が染まるほどであったと伝えられ、現代でも受け継がれている風習として、先祖供養にあずきの汁で米を炊いた「あかまんま」(すなわち赤飯)を炊くことは、この逸話がもとになっているといわれている ”
引用元:Wikipedia「八王子城」
うーん……なるほど。この供養方法がなんというか、グロい気がするのは私だけでしょうか。いや、供養は大事。それはそう。
この辺りはすっかり落葉していて、イエローの絨毯が広がっていました。
ふう、よきかなよきかな。悲しい歴史はあれど、後世まで語り継がれていることもまた供養なり。さて、帰るとするか……ってまだ「要害地区」に行ってない。ここまでは居住区で、つまり城跡ではないのです。まだまだ先があったのでした。いったんエントランス広場まで引き返してと……
尾根筋を登っていく感じか……えっ、てか、傾斜ヤバない?
縄張図だとわりと近く見える金子曲輪が遠い……。少し早めのペースで歩いていると冬なのに汗ばんでくる。ナメてた。完全にナメてた。山城っていっても関東だし平地でしょ!とか思ってた自分を責めたい!これは夕食前にしっかり入浴しないとあかんレベルや。昼メシで瓶ビール2本飲みすぎや!
階段でもなくなってくる。
八王子市街が見渡せる。視界のひらけ方がハンパない。
着いた!本丸跡!思いのほか狭く、天守などはなかったと推測されています。なかなかの要害だったと思われますが、当時は北条軍の奮闘むなしく、搦手方面からの奇襲にあい、即日落城と相成りし由に候。
下山して、汗だくから冷えて寒くなってきました。城山歩きは軽登山と心得よと言われたことを痛感。日頃から山歩きはそれなりにやっているので対応できましたが、運動習慣のない方が平城または易しい山城の感覚で登ると危険だなと感じました。悲しい歴史があって、しんみりしてしまうポイントもあるけど、立派な要害だったよ八王子城!またね!